「…士郎、ちょっといい?」
夕食を終え、皆でリビングで話をしながら寛いでいると、遠坂がおずおずと話しかけてきた。
「ん?どうしたんだ?」
「…協会からエディンバラの墓荒しの調査を依頼されたのよ。急な話なんだけど、明日から行こうと思うの。…士郎、あなたも一緒に来てもらえる?」
「墓荒し?…もちろんいいけど…でも、どうしてそんな依頼を受けたんだ?」
…確かに遠坂は特待生だし、そういう依頼が回って来てもおかしくないだろう。
けど、それはイリヤだって同じだし、時計塔に昨日入学したばかりの遠坂が調査を依頼され、まして承諾したことが不思議だった。
「そ、それは…」
俺の問いかけに言い淀む遠坂に代わり、桜とイリヤが溜め息を吐きながらこの話のいきさつを説明してくれた…
二章:V/依頼
「Fixierung,Eine Salve…!!」
「Pose, Abfangen …!!」
互いに刻印を発動させ、ガンドを機関銃のように連射する。
…本来軽い呪いをかけるだけのガンドだが、運が悪いことに二人は共にガンド撃ちの名手だった。
二人の指先から放たれるガンドは既に只の呪いではなく、質量を持った物理的破壊力を伴う“弾丸”だ。
風切り音を発しながら飛び交うそれらを、二人は机の影に隠れたり自分のガンドをぶつけて相殺するなどしてかわし、講義室の中を四方に走り回りながら銃撃戦を繰り広げた。
…流れ弾を受けた講義室の壁が崩れ、机や機材は粉々に砕け散る。
また、この場に不幸にも居合わせた学生は、防壁の張れる者はそれで流れ弾を防ぎ、張れない者は机の下に隠れながら必死に逃げ回っていた。
……講義が始まる前で教授が不在だったこと、また特待生同士の大喧嘩に割って入れる学生もいなかったせいで、騒ぎを聞き付けて飛んできた鉱石科の教授が二人を止めた時には、既に室内は全壊状態だった。
そして、戦っていた二人には当然罰が与えられ、それが講義室の修理代と墓荒しの調査なのだそうだ。
…ただ、本来なら修理代は二人で出し合い調査も協力して行うのだろうが、どういうわけか修理代の大半は相手が負担し、調査は遠坂一人で行くことになったらしい。
「………というわけなの。まったく、初めからこの調子だと先が思いやられるわ」
「姉さんはルヴィアさんのことになると、冷静さが欠けてしまうんですよね。やっぱり二人が似た者同士だからでしょうか?」
「…ちょっと桜、私があの縦巻きロールとどこが似ているっていうのよ!それに、今回の事だって先に喧嘩を売ってきたのはアイツなんだから!」
俺が説明を受けている間そっぽを向いていた遠坂が、少しムキになって反論する。
…どうやら遠坂自身、そのルヴィアさんに同族嫌悪を抱いている事を自覚しているようだった。
それに今回の事を申し訳無く思っているから、いつもの様な歯切れの良さも無いのだろう。
…それでも強がりを言う所は、何とも遠坂らしくて面白かった。
隣では桜も同じ事を考えているようで、クスクスと笑っている。
「とにかく!明日は朝早くに出発するから、士郎、あんたももう寝なさい!」
そんな俺達の様子に、遠坂は赤くなった顔を隠すように背を向けてリビングから出て行ってしまった。
…遠坂が出て行った後、残った三人で話をしていた。
「でも、協会もなんだって墓荒しの調査なんか押しつけてきたんだろうな」
「エディンバラの墓荒しなら今朝のニュースでやっていましたよね…埋葬されて日が浅い墓がいくつか掘り返されて、収められていた死体が激しく損傷していたって」
「その話が協会に回って来たということは、少しはヤバい依頼ってことか…」
「確かに墓荒しの犯人が“死霊魔術師”なら面倒だけど、“グール”だったら倒せば終わりだし、楽な依頼じゃないかしら」
「でも、グールなら魔術協会じゃなくて聖堂教会に話が行くはずだろ?」
…グールや吸血鬼、聖堂教会などについては、以前遠坂が渡してきた文献を読んだから大体は知っていた。
「…けど、イギリスは魔術協会のお膝元ですから、死徒みたいに討滅が難しいものでもない限り、魔術協会だけで処理しているのではないでしょうか?」
桜の言う事ももっともだろう、協会と教会は基本的に仲が悪いからな。
「…いずれにせよ、二人で手に負えなさそうだったら直ぐに連絡しなさい。まぁ…リンは嫌がるでしょうけどね」
「ああ、その時は」
いくら俺たちが聖杯戦争という死線を潜り抜けているとはいえ、楽観して良い話でもない。
何かあった時の対応を三人で確認し、俺も明日に備えて早めに部屋に戻った。
………屋敷を出発して約二時間、俺と遠坂はエディンバラ空港に到着した。
エディンバラはスコットランドの東岸、フォース湾に面しているスコットランドの首都である。
世界遺産にも登録されている美しい町並みと、数多くの旧跡を有する湾岸都市として有名だ。
…だが、同時に魔女狩りや侵略、王位継承のための争いが繰り返された悲劇的な歴史を有し、ロンドンに負けず劣らずミステリアスな一面も持っている。
賑やかな表通りから薄暗い路地裏に一歩入るだけで、人々の怒声と悲鳴が聞こえてくるようだった。
「…これからどうするんだ?」
「宿のチェックインは午後からだから、とりあえず先に現場を見に行くつもりよ」
チェックインは午後か…荷物もそれほど多くはないし、現場もここからそう遠くないらしいから構わないだろう。
「そうか。…なぁ、遠坂は今回の依頼をどう思っている?」
「…協会もはぐれ魔術師の仕業なのか、グールの仕業なのか分かっていなかったのよ。それに、同じイギリスでもイングランドとスコットランドは違うしね、面倒だと思っていた所に私たちがポカをやってくれたから、これ幸いと押しつけて来たんでしょう。それに…」
「それに俺たちが聖杯戦争の勝ち残りだから…か?」
「そういうこと。自分達の出したマスターを出し抜いて私たちが勝ち残ったものだから、連中探りを入れてきているのよ。今回は罰としてだけど、これからも何かしら依頼をしてくると思うわ。…協会に貸しを作れるのは良いけど、あんまり頼られ過ぎるのも問題ね」
…遠坂の様な正統派の魔術師の目標は、“根源”に至る事だ。
まだ講義の無い俺とは違い、本当だったら今日だって講義に出て、家に帰ったら工房に籠って自分の研究をしたかったのだろう。
遠坂の表情は、乗り気のしないような曇った表情だった。
…しかし、俺はというと…今まで鍛えてきた成果を試すことができることに喜びを感じていた。
俺が遠坂達とロンドンに来たのは、自分の戦闘技術を高めるためと場数を踏んで経験を増やすためだ。
それに、人助けをするために漠然と世界中を旅するよりも、こういった依頼を受けて動いた方がきっと、より多く“正義の味方の実践”ができると思っていた。
…そんな風に考えていたら、自然と体がうずうずしてきた。
(…武者震い、か…)
俺は高ぶった気持ちを落ち着けるために一度大きく深呼吸をして、遠坂の後を追いかけた。
……しばらくして、俺たちは現場となった集団墓地に来ていた。
しかし、当然のように警察や報道関係者、それに野次馬が押し掛けていて、とても中に入って調査ができるような状態ではなかった。
「心配しないで」
そう言うと、遠坂は墓地の入口にいる警官に何やら書類を見せながら話し始めた。
そして、話し終わると俺に向かって手招きをしてきた。
「さっきの書類は何だったんだ?」
俺は立ち入り禁止のテープを潜り、墓地の中に入ってから遠坂にそっと尋ねてみた。
「ただの調査許可証よ。元々協会に依頼してきたのは彼らだもの、このくらいあるのは当然でしょう?…あんた、どうやって調査をするつもりだったのよ」
(遠坂の事だから、相手に催眠術でもかけるのかと思っていた)
…なんて、言えるはずもな…
「聞こえているわよ、衛宮くん」
「うっ…ご、ごめん」
振り返って俺をひと睨みし、呆れた…と溜息をこぼすと、遠坂はまた前を向いてさっさと歩きだした。
「前にも言ったけど、表の世界と裏の世界は繋がる所は繋がっているの。全てを秘密にするよりも、ある程度情報を共有するほうが双方にとって都合が良いのよ」
…確かに、時計塔にしたって“深部”は隠しつつも、“上部”は王室の一部の者には開放しているというし…そうでもなければ、あんな首都のど真ん中に堂々と潜り込めるわけがないんだろうな。
……そうこうするうちに、俺たちは問題の墓の前まで来た。
さすがに死体は片付けられていたが、墓石は倒され、大きな穴が開けられていた。
また、周りを見ると他にも三つ、同じように荒らされている墓があった。
…近くにいた鑑識官と話をしていた遠坂が戻ってくる。
「埋まっていた死体の損傷状態だけど…埋められてまだ日が浅いっていうのに、ほとんど白骨だったそうよ。…まるで、『フライドチキンを食べた後の残骸』みたいだったって」
「じゃあ、犯人はグールなんだな?」
「ええ。…ただこの墓、何かおかしいと思わない?」
もう一度墓をよく見てみる…
「…そういえばこの穴…掘り返されたというよりも、中から這い出てきたような感じだよな」
「そう。恐らく死体は掘り起こされたのではなくて、自分で出てきたのよ。けど、食べられた死体は墓の数と同じ四体だから、グールは別にいたことになる。そもそもグール一体で一晩に四つも墓を暴けるとも思えない…」
「…つまり、グールが食べた死体を墓から出した奴がいるってことか?」
「たぶんね…。士郎、ちょっと周りを見ていてくれる?」
「何をするんだ?」
「魔術を使って確かめてみる」
そう言うと遠坂は、小さなエメラルドを取り出して小声で短く詠唱した。
「…Zeigen…」
…エメラルドが淡く光りだす。
「それは?」
「エメラルドで私の知覚力を増幅して、魔術の痕跡を感知したの。…どうやら裏に魔術師がいるのは確実みたいね」
…さすが遠坂だ。
魔術の実力はもちろん、洞察力に行動力も俺よりはるかに優れている。
俺も見習って頑張らないとな…
「…じゃあ、まずはその魔術師を探すのか?」
「いいえ。探して見つかる程むこうも馬鹿じゃないわ。グールはリビングデッドになって生者を襲いだす前に退治しないといけないけど、夜になるまでは動けない。ここはむこうが動くのを待った方が早いわ。…とりあえず宿に行って、計画を立てましょう」
「了解」
…その後、監視用にガラス製の鼠の使い魔を墓地に放して、俺たちは宿へと向かった。
カラン!カラーン!
入り口のドアを開けると、取り付けられていたベルが綺麗な音で鳴った。
その音を聞いて、カウンターで帳簿をつけていた白髪の女性が立ち上がり、声をかけてくる。
「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」
「はい。予約した遠坂です」
「トオサカ様ですね…はい、確かに二名様でご予約を承っています。それではこちらの書類にサインを……はい、ありがとうございます。こちらが部屋の鍵です。お部屋は二階の突き当たりになります」
「どうも、お世話になります」
「はい、どうぞごゆっくり…あっ、一つ言い忘れていたよ。うちの部屋の壁はあまり厚くないから、気を付けなさいな」
「「へっ??」」
満面の笑みでしれっと凄いことを言われ、二人して目を丸くする。
「わ、私たちそんな…!」
遠坂が真っ赤な顔で反論する。
「ほっほっほ、良いじゃないの、お二人共お若いんだから。この街にはハネムーンで来たんだろう?」
「違います!!」
遠坂は鍵を受け取ると、直ぐに二階に上がって行ってしまった。
「…おっと、何かまずい事を言ったかね?」
「あはは…。俺たちハネムーンではなくて、ただの観光で来たんですよ」
「あら、そうだったのかい?いずれにせよ、あんなに綺麗な彼女がいるなんて、お兄さんは幸せだよ。まぁ、色々頑張りなさいな。あっはっは!」
「は、はは…善処します…」
…なんて元気なお婆さんだ…軽い頭痛がする。
「じゃあ、俺もそろそろ…」
ニコニコしているお婆さんに挨拶をして、二階に上がろうとしたその時…
ガランガランッ!!ガラーン!
突然、けたたましい音とともにドアが勢いよく開かれ、泥だらけになった男の子が駆け込んできた。
「ハルちゃん!?あんたまた…」
お婆さんは慌ててカウンターから飛び出ると、男の子に駆け寄った。
「また喧嘩したのかい…怪我をしているね。こっちに来なよ、手当てしよう」
お婆さんは、男の子を連れてカウンターの奥に入って行った。
…気になるけど、今はとりあえず部屋に行って荷物を置いてこよう。
「確かにチャンスではあるわね…」
「遠坂」
「でも、壁が薄いってことは…あっ、遮音の結界を張れば…」
「なぁ、遠坂」
「…っ!?ご、ごめんなさい。何かしら?」
やっと気が付いた。
俺が部屋に入ってきた事にも気が付かなかったみたいだし、集中力が良すぎるのも考えものだよな。
「何でそんなに慌てているんだよ?あっ、一応何度もノックはしたからな」
「べっ、別に何でもないわよ!…それで、何か用?」
「いや、宿で計画を考えるって言っていたからさ」
「計画だったら、まず遮音の…っ!そ、そうじゃなくて…とりあえず、奴等が狙いそうな墓地の幾つかに監視用の使い魔を放して、様子を見てみようと思うの」
「それだけか?様子見程度で良いのかよ?」
「あっちだって時計塔が動いて、誰かしら調査に来ていることくらい予想しているわよ。昨日の今日で現れる確率は低いわ」
「そうか…」
「でもそうなるとこの辺りの地図が必要ね。士郎、あのお婆さんに聞いてもらって来てもらえないかしら?」
「ん、了解」
…
……
………
「地図かい?そこに観光用の地図ならあるけど…」
「できれば詳しく書かれている物が良いのですが…」
俺は地図をもらいにカウンターまで来ていた。
「そうかい…あぁ、あったよ。これならいいかい?」
「はい、どうもありがとうございます」
「この辺りは色々見どころが多いからねぇ。お勧めはカールトンパークかなぁ、あそこから見える景色は絶景だよ」
「それはぜひ見てみたいですね」
「えぇ、行ってみなさいな。うちは門限が無いから、ゆっくり楽しんでおいで」
「はい」
…さて、これで用は済んだけど…俺は気になっていたことを尋ねる事にした。
「あの…余計なお世話かもしれませんが、さっきの男の子はどうしたんですか?」
俺の問いかけにお婆さんは悲しそうな表情を浮かべ、ゆっくりと話し始めた。
「…あの子はハルといって、あたしの息子の子供…孫なんだよ」
「ハル君が帰って来た時、前にも同じような事があったような言い方をしていましたよね?」
「……一年と少し前になるかね、あの子の両親…あたしの息子夫婦が突然いなくなっちまったのさ。それ以来、ハルは周りから親に捨てられた子供だって言われていじめられていてね…あんな風になって帰って来るのなんてしょっちゅうなんだよ」
「そうだったんですか…。でも、ハル君のご両親はハル君を捨てたわけではないですよね?調査とかはされたんですか?」
「もちろんさ。本当だったら三人で旅行に行くはずだった。けど、ハルが熱を出したから二人だけで出かけたんだよ。そして、ハルが心配だから早めに戻ると電話があった。…けど、二人は帰って来なかった…あたしは直ぐに警察に連絡したさ。…だけど、未だに何の手掛かりもないんだよ」
…悲しそうに項垂れているお婆さんは、あの豪快に笑っていた姿より二回り程小さく感じられた。
ハル君の両親の事には力になれないかもしれないけど…いじめられているハル君の事は何とかしたいと、俺は思った。
「……とりあえずこのくらいか?」
部屋に戻って、俺たちは地図を広げながら死霊魔術師[ネクロマンサー]が現れそうな墓地の見当を付けていた。
「人家から離れていて周りが森や林に囲まれている場所というと、この三か所でしょうね」
「そのうちこの墓地は昨日荒らされたから…」
「そうね。同じ場所に来るとも思えないから除外して、残り二つになるわね」
ある程度的を絞り終えると、遠坂は紫水晶でできた二羽のフクロウ型使い魔を地図の上に置き、詠唱した。
「Gefangennahme---Vollendung, ein Monitoranfang」
…すると使い魔の目に光が宿り、翼を広げると勢いよく窓から飛び出して行った。
「これで一先ずやる事は終わったから、士郎、あなたも日が落ちるまでは自由にしていて構わないわよ」
「わかった。俺はちょっとやりたいことができたから外に出てくるけど…遠坂は?」
「私は時計塔とイリヤ達に連絡を入れたら、後はここで休んでいるわ。…朝早かったから眠いのよ…ふぁあ〜」
大きな欠伸をして、ごろんとベッドに寝転がっている遠坂を部屋に残し、俺はハル君に会いに行くことにした。
ガランガランッ!!ガラーン!
「ハルちゃん待ちな!包丁なんて持ってどこに行く気だよ!!」
階段を下りていると、けたたましいベルの音とお婆さんの怒鳴り声がした。
俺は急いで外に飛び出した。
「お婆さん、何があったんです!?」
「あっ、お客さん!ハルが包丁持って出て行っちまったんだよ!このままじゃ何するか分からんね、止めてやって下さい!」
「…分かりました。大丈夫、必ず連れ戻しますから!」
半狂乱になってしがみついてきたお婆さんを宥め、急いでハル君の後を追った。
「…ん?何だよ、捨て子。またやられに戻って来たのか?」
「………」
「捨て子のハルのくせに、さっきはよくもやりやがったな…今度はお前の番だ!」
路地裏で遊んでいた少年たちは、やって来たハルを見るなり罵声を浴びせた。
「…なぁ、さっき十分いじめただろ。今日は許してやろうよ」
「うるさいなぁ、バーク。邪魔するなよ、どけ」
ハルを庇った少年を押しのけて、一番体格の良い少年がハルの胸倉を掴もうと近寄った。
「……じゃない」
「あん?そんなに小さな声じゃ何を言ってんのか分かんねぇ…」
「僕は捨て子なんかじゃない!!!」
しかし、ハルが怒鳴りながら隠し持っていた包丁を構えると、さっきまでの威勢はどこに行ったのか…情けなく尻餅をついた。
「は、ハル…お前…」
ハルの目の前で尻餅をついている少年も、周りを取り囲んでいた少年たちも、未だに目の前で何が起こっているのか、これから何が起ころうとしているのか理解できていなかった。
「僕は、捨て子なんかじゃない…。お父さんとお母さんは、僕を捨てたりなんかしてないんだあああ!!」
「ひぃ!?」
目の前の少年に向かい、ハルが包丁を振り下ろす!
パシンッッ!!
だが刃が届く前に、突然目の前に割り込んできた青年の平手打ちをくらい、ハルはその場にへたり込んでしまった。
「やめるんだ、ハル君。そんなことをしても、何の解決にもならない」
ハルもまた現状が理解できていなかった。
…ただ、打たれた左頬がジンジンと熱を持っているのだけは確かに感じられた。
「うわあ…あ…人殺しだ。やっぱり捨て子のハルは悪い奴なんだ」
取り巻きの少年の一人が、また『捨て子』と言ったのを聞いて、ハルの目にもう一度狂気が宿る。
「いいかげんにしろ!!」
しかし、その狂気も少年たちに向けられた青年の怒声で霧散した。
「お前らに親をなくした者の気持ちが解るのか?それでなくとも、お前らにハル君を蔑む権利でもあるって言うのか?答えろ!!」
少年たちは青年の気迫に押され、後退る。
「ハル君をここまで追い詰めたのはお前らじゃないのか?一番悪いのは、ハル君の傷をいたずらに広げて楽しんでいたお前らじゃないのか!」
「…うっ…うぅ」
未だに地面に座り込んでいる少年が、半べそになって俯いている。
取り巻きの少年たちも、気まずそうに目をそらすばかりだった。
…その時、先ほどハルを庇った少年がハルの前までやって来て、彼の手をとって引っ張り上げた。
ハルはキョトンとしてその少年を見ている。
「ごめんな、ハル。俺たちが悪かった」
カランッ…
ハルの手に握られていた包丁が、音をたてて地面に落ちた。
…その音が、今日の事も含めた少年たちのいざこざの終わりを告げるものだった。
「ハルちゃん!!」
俺はハル君と一緒に宿の前まで戻って来た。
…そこには、おそらくずっと外で待っていたのだろうお婆さんと、何故か遠坂の姿があった。
「大丈夫です。何もなかったですよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます…」
涙を流しながら、お婆さんはハル君を抱きしめていた。
「…まったく。本当にとんだお人好しよね、士郎って」
遠坂が口では皮肉を言いつつも、穏やかな笑顔で微笑んでいる。
「でも、遠坂まで外で待っていることはないだろうに。眠かったんじゃなかったのか?」
「そうよ。でも、あんな騒ぎの中で寝ていられるほど、私は神経太くないわ」
俺がハル君を追いかけた後、残ったお婆さんを宥めていた遠坂の姿が目に浮かんだ。
思わず、ニヤついてしまう。
「なにニヤついているのよ」
「遠坂も十分お人好しだと思っただけさ」
「…ふん。あんたに言われたらお終いだわ」
……その日の夕飯は、ハル君たちと一緒に食べる事になった。
昼間の事のお礼にと、お婆さんが腕によりをかけて作ってくれた料理はとても美味しかった。
時間があれば、帰る時にレシピを教えてもらおう。
…それと、どうやら宿泊代もタダにしてもらったようで、食事中の遠坂は終始上機嫌だった。
…
……
………
「…お兄さん」
食事を終え、外に出て涼んでいるとハル君が声をかけてきた。
「ハル君、どうしたの?」
「僕のことは呼び捨てでいいよ。それより…さっきは僕を止めてくれてありがとう。あと、ごめんなさい」
「気にするなって。でも、これからはお婆さんに心配をかけるような事をしちゃダメだぞ」
「…うん。それと、一つだけ質問していい?」
「何だい?」
「お兄さんは、どうして今日初めて逢った僕のためにあそこまでしてくれたの?」
「…俺は本当の親の顔すら覚えていないからさ」
「えっ、それって…」
「俺が小さい時に死んじまって…、その後俺は自称魔法使いの親父に引き取られたんだ。…もっとも、その親父も死んじまったけどな。だからハルの境遇に共感したのかもしれないけど…、本当は俺が極度のお節介だからかもな」
「ご、ごめんなさい!」
「済んだ話だよ。それに、俺には大事な家族が沢山いるからさ」
「それは、一緒に泊まっているお姉さん?」
「…ま、まぁ、そうなんだけど…。他にも家庭的な妹と、わがままでお転婆な妹…あと日本には、わがままでずぼらな姉もいるな。それとメイドの二人だって一緒に暮らしている大事な家族さ」
「自称魔法使いのお父さんといい、お兄さんの家族は色んな人がいて楽しそうですね」
「あぁ、楽しすぎて毎日心労と生傷が絶えないよ」
「あははっ!ひどいなぁ」
俺の冗談ではない冗談で、ハルがお腹を抱えて笑った。
…しかし、そのうちに笑顔は消え、悲しそうに話し始めた。
「…僕、少しだけお父さんとお母さんを疑っていたんだと思う。みんなが僕は親に捨てられたんだって言うから、本当に捨てられたんだと思ってお父さんたちを恨んでいたんだと思う」
俺は口を挟まずに、ハルが続きを話すのを待った。
「…だけど、本当は信じたかったんだよ。僕は捨てられたんじゃない、お父さんたちは僕を捨ててなんかいないって…。だけど、あいつらがまた捨て子っていうから…」
「…ハルがしたことは、もう少しで取り返しがつかなくなるようなことだった。それは何て言い訳をしても許されることじゃない」
俺の言葉を聞いて、ハルが涙を零す。
「…けど、ハルがお父さんとお母さんのことを信じたいって思った気持は、とても大切なことだよ。相手を信じるっていうのは簡単なことじゃない。…ハルはお父さんとお母さんが大好きだったんだね」
「…う…うわあぁん!ああぁん!!」
俺はしばらくの間、泣きじゃくるハルの頭を撫でてやった。
…そのうちハルが泣き止むと、俺たちはハルの就寝時間になるまで談笑した。
「…宝具の投影はするなって、どうしてだよ?」
部屋に戻って来ると、直ぐに遠坂が話しかけてきた。
「さっきイリヤに電話した時に忠告されたのよ。時計塔の一部の教授たちが、私たちを必要以上に警戒しているから気をつけた方がいいって。…とにかく封印指定になりたくなかったら、今回は宝具は使わないことね」
「…わかった。でも、宝具以外の武器なら構わないんだろう?」
「できればそれも止めて欲しいけど…、あんたは投影[ソレ]しか能が無いものね。いいわ、許可します」
「…なんか、微妙に馬鹿にされている感じがするな」
「気のせいよ。それよりも動きがあったら起こすから、それまで寝られる時には眠りましょう」
言うが早いか、遠坂は俺に背を向けてベッドにもぐってしまった。
(俺も寝るとするか…)
遠坂に背を向けるようにして、俺も自分のベッドにもぐり込んだ。
二人のベッドの間にあるスタンドが、暖色系の色で仄暗い室内を照らしていた。
カチ、カチ、カチ…
……床についてからどのくらい経っただろう。
どうも寝付けそうにないので、俺は時計の秒針が正確に時を刻む音をボケっと聞いていた。
「士郎…」
小さな声で遠坂が俺の名前を呼んだ。
「どうした?」
振り返ってみると、掛け布団から頭だけ覗かせた遠坂が驚いた表情でこちらを見ていた。
「お、起きてたんだ…」
どうやら、俺が寝ていると思って声をかけたみたいだな…
「何か用か?」
「べ、別に用ってわけでもないんだけど…」
…そこで頬を赤らめないでほしい。
なるべく意識しないようにしていた、同じ部屋で二人きりというシュチュエーションを思い出してしまう。
「…士郎は桜のこと、どんな風に考えているの?」
…いきなり核心に迫る質問だな。
「どんな風にって…」
「…大事な家族として?それとも女性として?」
「…もちろんひとりの女性としても見ているけど、家族っていう方が強いかな」
「でも…エッチ、したんでしょ?」
「…うっ」
また鋭い質問を…
「桜は言っていたわ、『体は奪えましたけど、先輩の気持ちまでは奪えませんでした』って。士郎の中にはセイバーが強く残っているから…」
…女々しいかもしれないが、実際その通りだった。
この前エムちゃんに逢った時も、その容姿に俺はセイバーを重ねて見ていた。
「セイバーのことを忘れられないのは分かってる。桜も納得しているから、二人のことをとやかく言う気はないわ。だけど…」
彼女はそこでいったん言葉を止め、
「士郎は私のこと、どう思っているのかな…?」
とても不安そうな顔で、一番聞きたかったであろう質問をしてきた。
…その姿はすごく無防備で、儚くて…幼い少女のようだった。
「俺は…」
心臓の鼓動が徐々に大きくなっていくのが分かる。
言いたい言葉も分かっているのに、それが喉に詰まって出て来ないのがじれったかった。
……しかし、俺が返答に詰まっている間に遠坂の表情が急に真剣なものになった。
「…残念。今日はここまでみたいね」
「遠坂?」
「“奴ら”が現れたわ。急いで準備をして」
遠坂は、今まで見せていた表情は俺が見ていた夢であったとでもいうように、いつもの調子に戻ると手際よく荷物をまとめている。
「…わかった」
俺も一度両頬を叩いて気合いを入れなおし、ベッドから降りて靴を履く。
「こっちの準備は終わったよ」
「そう。じゃあ行きましょう」
俺たちは宿を出ると、走って墓地に向かった。
「…あれ?お兄さんたち、あんなに急いでどこに行くんだろう…」
そんな二人を不思議そうに見ていた、小さな視線に気が付かずに…
………到着して直ぐに遮音と人払いの結界を張り、俺たちは墓地の奥までやって来ていた。
グチャ、バリ…パキッ、グチュクチュ…ガッ…
…そして、“ソレ”は墓石の陰でうずくまりながら、近づいていた俺たちに気付くこともなく一心不乱に死体を貪っていた。
…俺は、人が食される光景があまりに惨く、汚く、吐き気を催すのに十分過ぎるものだと痛感した。
「…どうする、遠坂」
「どうするも何も、こんなのをずっと見ているわけにもいかないじゃない」
そう言って、未だにこちらに気付きもせず食事をしているグールに向かい、刻印を発動させてガンドを発射した。
バシュゥッ!!
…そして、ガンドはグールに着弾する前に、横から放たれた魔弾で相殺された。
「あらあら、困るわねぇ。食事中は静かにしていてくれないと」
闇の中から黒いローブを着た魔術師が現れる。
…口元までフードで覆っているので素顔は見えないが、背丈があるのでおそらく男だろう。
「出たわね…、あんたが今回の騒ぎの犯人でしょう?グールなんか育てて、いったいどうするつもりなのかしら?」
「アァ…」
…騒ぎを聞いて、さすがにグールも俺たちに気付いたようだ。
食事を中断して、こちらを警戒している。
「あら、あなたは気にしなくてもいいのよ。食事を続けなさい」
遠坂の質問には応えずに、魔術師はグールに振り向きながら指示を出した。
…指示を受け、グールがあの嫌な音をたてながら食事を再開する。
「…余裕ね」
遠坂が刻印を光らせながら、指先を魔術師に向ける。
「…クス、せっかちね」
「早く質問に応えなさい。オカマ魔術師」
有無を言わさぬ強い口調だった。
「……ただ単に、あたしの研究が“人の吸血鬼化”だからよ。この子はその実験体。あたしの血を原料にして作った魔法薬で、人から変化させた忠実な僕…、最終的にはヴァンパイヤにするつもりなの。いいでしょう?超越種を使い魔にできるのよ」
魔術師がニタリと嫌な笑みを浮かべて笑う。
「…俺からも二つ程質問する。そのグールは、生きた人間をあんたが無理矢理グールにしたんだな?」
「えぇ、その通りよ。坊や」
「…じゃあ二つ目だ。あんたはそのグールがリビングデッドになったら、生者を襲わせるのか?」
「当然ね。生き血を吸わなければ保てない体だもの」
…躊躇なく応えやがった。
どうやら、こいつは人の命を何とも思っていないらしい。
「遠坂」
「…そうね。話し合いは意味ないみたい」
「ふふ、野蛮ね」
「投影、開始(トレース・オン)!!」
遠坂から宝具の投影は禁じられているけど、宝具ではなくても投影できる剣はある。
「士郎、その剣は?」
詠唱するのとほぼ同時に、俺の右手にはバスタードソードが握られていた。
…カリバーンのような装飾など無い、一般歩兵用の量産型の剣。
実用性のみを追求した剣なので、扱いやすさは申し分ない。
「この前、大英博物館に行った時に見たんだよ。何の神秘性も持たない只の剣さ。…これなら文句はないだろう?」
「…そもそも、投影品が実戦に使えるって事が問題なんだけど。まぁ、いいわ。それより早く構えなさい。…来るわよ」
「Corpses, it is led to the light of my carved seal, and revive as my doll.」
…奴の腕にびっしりと刻まれた刻印が輝くと、数十体の死体がホラー映画さながらに墓石の下から這い出てきた。
「…趣味悪過ぎだ」
衣服も肉体も蟲に食われ、腐乱した死体は見るに堪えないものだった。
そして、この腐乱臭…吐き気がする。
「でも、あいつの刻印は凄いわ。これだけ沢山の死体を操れるなんて…油断は禁物よ、士郎」
「あぁ、分かっている」
「この子はもう少しでリビングデッドになれるの、邪魔はさせないわ」
奴が腕を振るうと、死体たちが俺たちを取り囲むように輪になった。
「数が多いわね…。とりあえず正面の雑魚を片付けて突破口を開くわよ。その後は私が奴らを足止めするから、士郎はグールを倒して」
「了解、任せとけ」
死体たちが徐々に距離を詰め、近づいて来る。
「行くわよ!---Eine Flamme,Wirbelwind,Multiplikation!…灰塵に帰せ…Ifrit!!」
死体に向かって放たれた宝石が輝き、詠唱と共に大きな炎が渦を巻いて立ち上る!
そして、周囲の死体たちも巻き込み燃やしつくす!!
…今の一撃で前方にいた敵の半数以上は、文字通り灰塵になったようだ。
死体の群れに、ぽっかりと穴が開いた。
その間隙に向かい、俺を先頭に走り込む。
「どきやがれぇぇ!!」
前の敵は俺が切り払い、後ろから追いかけて来る敵は遠坂がガンドで一掃する。
そして、あっという間に死体たちの包囲網を突破した。
「よし!後ろは私に任せて、士郎はグールを!」
「おう!」
俺はそのまま一直線にグールに向かって走る。
「…やるじゃない、あんたたち。…でも、遅かったみたいね」
…グールがゆっくりと起き上がり、こちらに振り返る。
「むっ…」
その赤い目を見た瞬間、体が重くなった。
俺は一度その場で止まり、様子を見る事にした。
「士郎!?」
「大丈夫。少し体が重くなっただけだ」
「なり立てとはいえ、リビングデッドは立派な吸血種よ。微弱だけど魔眼も持っているわ。…ふふ、それにしても坊やの魔力耐性は低そうね。それじゃあ、坊やにこの子の最初の餌になってもらおうかな…」
「待ちなさい!!」
ある程度死体が片付け終わったのか、遠坂が駆け寄ってくる。
「…安心して、お嬢ちゃんの方はあたしが遊んであげるわ」
魔術師が遠坂に向けて魔弾を放つ。
「遠坂!!」
「ちぃ!…私は大丈夫だから、あんたはそいつに集中しなさい!!」
リビングデットに目を戻す。
奴はゆっくりと俺の方に近づいて来ている。
…後ろでは激しい爆音が響き続けている。
こいつをさっさと片付けて、加勢に行かなければ…。
体は少し重いけど…、この程度なら問題はない。
なら、こちらから打って出る!!
「おおおお!!」
真正面からリビングデッドと対峙する。
「ガァァァ!!」
大振りで放たれた拳を、剣の腹で受け止める。
バキィンッッ!!
「…ぐっ!?」
剣が砕かれ、俺自身も数メートル後ろに弾かれる。
…思っていたよりも凄い力だ。
生身でくらったら骨折は必至だな…
俺はもう一度同じ剣を投影して、構える。
そして、リビングデッドは俺に向かって突進して来た。
…あいつの力は強いけど、その動きは単調で緩慢だ。
俺はこの一年間、こいつより遥かに強いリーゼリットさんと鍛練をしてきた…
目の前まで迫ったリビングデッドが、また大振りで殴りかかってくる。
…だから、こんな木偶の防など敵ではない!!
「遅い!!」
それを真正面から迎え撃ち、しゃがみ込むことで攻撃をかわしながら足掃いをかける!
「ガァ!?」
リビングデッドが前のめりになって、ぶざまに転ぶ。
「はあああ!!!」
そして、起き上がろうともがいているリビングデッドの首へ剣を…
その時…俺は視界の隅に、この場所にいてはいけない人物を見た。
「おとう…さん?」
「なっ!??」
ありえない声を聞いて手元が狂い、首を断つはずだった一撃は首元を掠めるだけに終わった。
そして、リビングデッドが足を掴みにかかってきたので、その腕を蹴り飛ばし急いで距離をとった。
……俺と遠坂は唖然としながら声の主を見ていた。
…その視線の先には信じられない事に、宿の少年…ハルがパジャマ姿で立っていた。
(なぜ!?遮音の結界も人払いの結界も張ったはずではなかったのか!!)
「うわっ?!」
死体たちがハルに群がる。
「くっ!?てめぇら見境なしか!!」
俺は直ぐにハルの前に立ちふさがり、向かって来た死体たちを薙ぎ倒す。
「士郎!」
遠坂も直ぐに駆け付け、同様に死体たちを吹き飛ばす。
「遠坂!どうしてハルが!?」
「そんなこと、今聞かれたって答えられないわ!」
…そんな中、不思議そうにこちらを見ていた魔術師が突然笑い出した。
「アッハッハッハ!!偶然って怖いわねぇ…。ハル…、確かに“あの夫婦”には子供がいたわね」
「おい、お前何を知っている!」
「たいしたことでもないわ。“このリビングデッドが、その子のお父さん”だってだけだもの」
「何ですって…」
「…いいわ、興も乗ってきたから話してあげる」
魔術師は死体たちを下がらせると、もったいぶるように話し始めた。
「知っているだろうけど、血を吸われたからといってその全てがヴァンパイヤには成れないわ。親の吸血鬼が気まぐれに自らの血を残した死体のうち、ヴァンパイヤまで至れるのは僅か一万分の一。グールに成れるのだって百分の一よ。…さて、では何がそれらを分けているのでしょうか?」
俺は睨み殺す勢いで魔術師を睨んだ。
「もう、そんなに恐い顔をしなくてもいいじゃない。…血を吸われた哀れな犠牲者たちの明暗を分ける一番の要因は、その人間が持っていた魔術的素質よ。魔術回路に内在魔力量…それらが多い方が生き残れる確率が高いわ。あたしは事前にそれらを調べることで、生存率の高い実験体を作り出したわ」
「…じゃあ、ハルの両親は…」
「そう。あたしの眼鏡に適ったから実験体になってもらったの。…もっとも、グールに成れなかった母親の方は早々に他の実験体の餌になってもらったけど」
「てめぇええ!!」
俺は強く地面を蹴り、魔術師に切り掛かった。
「駄目よ、士郎!!」
「ふふ、若いわね」
しかし簡単にかわされ、逆に死体たちに囲まれて遠坂たちと分断されてしまった。
「くそっ!」
「ふふふ、浅はかな坊やねぇ。…それよりも、人払いの結界を通って来られるなんて…その子の素質も高そうね。いいわ、親子であたしの実験体になってもらいましょう」
また魔術師の刻印が光り、死体たちが這い出して来る。
その数は、残っていた者も足して百を優に超えていた。
死体たちは直ぐに俺たちとの距離を詰めてきた。
…遠坂もハルを庇いながらでは分が悪い。
それに、俺もこの剣ではこいつらを倒しきれない!
「お姉さん、お兄さん…お父さん…」
ハルが遠坂の服を掴んで震えている。
…もう我慢できない。
約束を破るぞ、遠坂!!
「投影、開始!!」
…持っていた剣を消し、俺がこの状況で投影する剣は一つ。
脳裏に浮かぶのは剣の丘、その上に突き立てられた剣を抜く!!
「おおおお!!」
…そして、俺の手には数瞬のうちにカリバーンが握られていた。
直ぐさま周りの死体たちを薙ぎ倒し、遠坂たちと合流する。
…前の剣ではこうはいかない。
大人数を相手に戦い、勝利してきたセイバーの剣だからできることだ。
俺は剣自身が持つ戦闘経験を模倣しているだけにすぎない。
けど、その裏には模倣した技術に体がついてこられるように、鍛練を積んできた努力もあった。
「…よし!大丈夫か、二人共!」
「よし、じゃないわよ!もう、どうなってもしらないんだから!!」
「…悪い。じゃあ、謝りついでに後一回だけ勘弁してくれ」
俺は背中に二人を庇うよう立ち、死体たちの向こうにいる魔術師とリビングデッドに向かってカリバーンを構えた。
「お兄さん…」
遠坂の背中に隠れながら、ハルが心配そうに俺を見ている。
「…ごめんな、ハル」
俺は謝罪の言葉を述べるとカリバーンを脇に構え、一文字に振り切りながら真名を解放した。
『勝利すべき黄金の剣!!!』
放たれた斬撃は、俺たちを取り囲んでいた死体たちを両断しながら魔術師とリビングデッドに迫る。
「くっ!??」
魔術師は油断していた。
対魔力も低く安い挑発に乗って突っ込んでくるような者が、まさかこれ程までに力を持っているとは思っていなかった。
…そして、その油断が回避を遅らせ、光の奔流が魔術師たちを飲み込んだ。
………斬撃が墓石や地面に当たって轟音が響き、土煙が舞ったが、それも次第に収まり視界が晴れてくる。
…カリバーンは真名を解放したことで消えてしまったので、俺はもう一度バスタードソードを投影して構え、油断なく周囲に気を配った。
「あ〜ぁ、酷いわねぇ。このローブはお気に入りだったのに…」
…土煙が晴れ、二つの影が現れる。
魔術師の方はフードが破けて素顔が見えていた。
色白で線の細い男だった。
「生きていやがったか…」
今の一撃は、俺の魔力のほとんどをつぎ込んだ最大の攻撃だった。
これでも倒せないとなると厄介だぞ…
「あ〜、だからそんなに恐い顔で睨まないでって言ったでしょう。…もう何もしないわ」
「何だと?」
「今の攻撃を防ぐので疲れたし、それに…そっちは駄目になっちゃったみたいだしね」
ベチャ…ドサッ…
…リビングデッドの上半身がズルリと滑り地面に落ちた。
残っていた下半身も、上半身を失ったことでバランスを失って倒れる。
「魔力も底を突きかけ、実験体も失った…。その子を奪うことも無理そうだし、あたしは退散するとするわ」
そう言って、魔術師は俺たちに背を向けて歩き出した。
「おい、待て!」
「止めておきなさい、士郎」
追いかけようとする俺を、遠坂が制止した。
「どうしてだよ、このまま奴を逃がすのか!?」
「あんただってほとんど魔力が残っていないじゃない。こっちにはハル君もいるし、この辺りはあいつの方が詳しいわ。…深追いはかえって危険よ」
「…ふふ、賢明なお嬢さんね。あんたたちとは縁がありそうだし、お名前を教えて頂けるかしら?」
「あんたに教える名前なんてないわ。それに、二度と関わり合いになるのはごめんよ」
「…そう、残念だわ。けど、あたしはあんたたち…特に坊やに興味が湧いた。あたしはノックスよ。…また会いましょう、お二人さん」
そう言って、ノックスと名乗った魔術師は闇の中に姿を消した。
「…お父さん」
ハルがリビングデッド…自分の父親だった者の傍らに、その手を握って座っていた。
…それを、俺たちは何も言わずに見つめていることしかできない。
「…ごめんなさい、お父さん。僕、一度だけお父さんとお母さんが本当に僕を捨てたと思って、恨んだことがあったんだ」
少年は錯乱することもなく、涙を零し、強く父の手を握りながら懺悔の言葉を口にした。
「…ごめん…なさい…。お父さんたちがこんな目にあってるのなんか知らなくて…僕がいちばん信じてあげなきゃいけなかったのに!それなのに!!…僕は…ひっく…ぼくは…」
…できれば言いたいことを、ハルが胸に溜め込んだ言葉の全てを話させてやりたい。
しかし、非情にもリビングデッドはハルが話している間にも、刻々と塵になって消えていっている。
「…ハ…ル…」
「えっ…」
そして、ハルが握っていた手が消え、全てが無に帰ろうとした時、俺は確かにハルの父親が息子の名前を呼ぶ声を聞いた。
それはもちろん、ハルの耳にも届いた。
「おとう…さん…おとうさーん!!うあああぁぁぁ…!!!」
…荒れ地と化した真っ暗な墓地の中に、少年の悲痛な叫び声が響いた。
「それじゃあ、お気を付けてお帰りになって下さい」
………一晩明けて、俺たちは宿の前でお婆さんと挨拶をしていた。
「はい。どうも色々ありがとうございました。宿代までタダにしてもらってすいません」
「良いんですよ。お客さんのおかげで、ハルもああして友達と仲良く遊ぶことができているんですから」
お婆さんの視線の先では、友達と仲良くボール遊びをしているハルの姿があった。
一緒に遊んでいるのは、あの時ハルを庇った少年だ。
…しばらく彼らにはわだかまりが残るだろうけど、ハルが沢山の友達と一緒に遊ぶ日も遠くはないだろう。
「ハルちゃん!あんたも一緒に挨拶しなよ!」
「はーい!」
お婆さんに呼ばれて、ハルが俺たちの前までやってくる。
目の前に立っているハルの表情は、とても晴々としていた。
……ハルの昨日一晩の記憶は、遠坂が消していた。
そのことは当然しなければならないことで、俺も十分納得はしているが…、出来る事ならハルが“父親と再会したこと”だけは残してやりたかった。
…あと、墓地のこととノックスという魔術師のことは、夜が開ける前に時計塔と連絡を取って対処してもらったので問題はない。
時計塔は、奴がまたハルを狙って現れるかもしれないので、ハルに監視を付けるそうだ。
それを聞いて、俺は少し安心した。
「お兄さん、お姉さん。またいつか来て下さいね」
「あぁ、もちろん」
「えぇ、今度はもっとゆっくりと遊びに来るわ」
「やった!…あっ、それとお姉さんはもっとお兄さんを大事にしてあげて下さいね」
「ばっ!??」
「…衛宮君。ハル君に何を吹き込んだのかしら?」
「な、何でもないさ!」
「「「あははっ!!」」」
いつものやり取りをしている俺たちを見て、皆が笑った。
(…今回、俺は正義の味方に成れていたのだろうか…)
ハルは笑っているが、ノックスは逃がしてしまった…。
あいつは危険な男だ、野放しにしておくわけにはいかない。
(…次に会った時は逃がさない。それまでに、もっと力をつけなければ…)
「ばいばーい、またねー!!」
大きく手を振っているハルに手を振り返しながら、俺たちは帰路に着いた。
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